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Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

上海旅情


「上海旅情1」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「南京市内」の写真を公開しています。

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上海駅は市中心部のすぐ北側にありバスや地下鉄に
連結され直ぐに各地へ行く事が出来る。

出発するときには上海駅中央改札から入り
チケットの確認から危険物検査を行い待合室へ行く。

北京方向の京滬線と杭州方向の滬昆(ここん)線の
始発駅で中国南部を東西に結ぶ幹線でもある。

中国鉄道の重要な路線の基点となるのが上海駅だ。
だが杭州方面の列車の大半が上海南駅に移った。

始めは不便だとも思ったが頻繁に利用する事もなく
上海駅からも杭州まで出ている列車もあり事前に
スケジュールを組んでおけば不便は感じない。

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日常あまり使わない漢字の京滬(けいこ)線は
上海から北京までを結ぶ路線で京滬の「滬」は
上海を意味する漢字であり中国語では「hu」と呼ぶ。

楽天では中国の簡体字は文字化けを起こしてしまい
どうしても繁体字になってしまうが致し方ない。

2010年に虹橋駅が開業すると南京方向や杭州方向の
鉄道は虹橋駅に移ってきている状態だ。

これも昔、虹橋国際空港を利用し浦東国際空港へ
替わったときの不便さが思い出されてならなかった。

人は環境に直ぐ慣れ、以前の便利だと思った環境が
古臭いと思うから如何に環境に左右されるかが分かる。

私は、上海駅近くのバス停から5つ目のバス停で降り
予約してあるホテルへと向ったが、このホテルは
上海に来ると良く使うホテルで、これも慣れた所である。

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写真はホテル近くの消防署で消防車を洗う署員を撮影。

 
「上海旅情2」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「南京市内」の写真を公開しています。

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上海のホテルに荷物を置いた私はその足で
近くの地下鉄乗り場から目的地まで向った。

予定していたのは上海新天地近くのレストランで
中国人の人達と夕食をする事になっていた。

まだそれまでには時間があるので新天地まで
先に出向き1年ぶりの新天地を見ておきたいと思った。

上海の地下鉄はカードを購入しておき料金が
無くなり掛ける前に購入して入れておくと楽である。

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中国の地方から出てきた人は地下鉄のチケットの
使い方にまだ慣れていない人もいるので近くへ
行って教えてあげないと、そこだけ列が膨れ上がる。

そしてバッグなど無防備になっているので
上海の地下鉄改札口近くにはプロのスリがいるので
バッグは必ず体の前に持ってくるようにと
要らぬお節介を焼いたりしている。

上海の地下鉄では乗降口に別の安全ドアーが
設置され人が押されて線路への落下を防止している。

また電車への乗降マナーは目に余るものがある。
我先にという中国の人々へ常識を教えないのも悪いが
人を押し退けても自分が先に乗りたいという心理は
昨日今日に始まった事ではなく国民性の問題でもある。

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「上海旅情3」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「南京市内」の写真を公開しています。

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上海地下鉄の黄陂南路駅の階段を上がり
黄陂南路の交差点へ差し掛かったところで
警官の交通整理風景を撮影していた。

写真では警官と目が合ったところだが
このあと左手で私の方を指差したので私も思わず
自分の人差し指で自分の顔を指差していた。

警官は歩いて来る事も出来ずにただ首を立てに振り
そうそう貴方撮影は止めなさいという感じだった。

まず私は中国共産党第一次全国代表大会で使用した
旧李漢俊宅へと向った。もうここへは5回目になる。

上海の代表は東京帝国大学出身の李漢俊と李達である。
そして湖南省の長沙代表の毛沢東と何叔衡が出席した。

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陳独秀や李大剣は後の大会には出席したが第一回には
出席はしていない。当時この建物はフランス租界内だった。

疎開地だったのはアヘン戦争で中国が敗戦をし南京条約で
イギリスが上海を租借し、アメリカやフランスも租借した。

第二次大戦で日本は中国に相当な虐殺を行ったというが
このアヘン戦争ではもっと酷い事をされている。

何故今日本だけが取り沙汰されているのかは中国政府の
策略に中国国民が乗せられ、政府も思わぬ結果になり
驚く政府とただ踊らされている国民が気の毒になって来る。

建物の入口が上海で名の知られた「石庫門」である。

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「上海旅情5」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「南京市内」の写真を公開しています。

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中国共産党第一次全国代表大会記念館の中では
物々しい雰囲気だったが、それでも何とか
警備の人の目を盗んでは撮影を続けた。

だが最後には警備員一人が私の横にピッタリと
張り付きシャッターを切らせてはくれなかった。

私はそれでも警備員に何処から来たのかとか
休憩はどれ位とか交替はあるのかなどと話すと
口に一指し指を当てて静かにとの張り紙を指した。

ガードマンが寄り添うそれ以前に撮影したのが
上下の刀の写真であるが、どれが中国でどちらが
日本かは一目瞭然ではないだろうか。

このような刀で立ち向かわれていたとは驚きだった。
しかも日本刀ならばバッサリという表現が似合うが
この刀で何度も叩かれたのでは相当苦痛だろう。。

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下の布に赤で書かれた文字が読めるだろうか。
「跌倒示示什麼!爬起来再前進!」楽天ブログでは
中国の漢字が表示されないので繁体字で表示した。

また「示示」の文字だが中国人にも分からないようだ。
「蒜」という文字を略したものではないかとの事。

「蒜」は「suan4」で発音をカタカナではスワン。
だが意味は「ニンニク」なので標語の意味が
余計に分からなくなっては来るが、

意味は「つまずいて倒れたくらい何だ!
地をはってでも前進あるのみ」「撃たれて立てなく
動けなくなっても、はって前進しろ!」という意味。

中国では戦争で亡くなった兵士が1000万人というが
国連に報告した戦死者数に500万人上乗せした。

500万人でも戦死者数が多い、日本は全ての戦場で
150万人の戦死者数だから比べものにはならない。

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「上海旅情6」

「中国写真ライフ」では、
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中国共産党第一次全国代表大会址から
100mほど進むと上海新天地へ出る。

この辺は全て石庫門建築の家が多く建てられ
魔都上海と呼ばれた1930年頃を表現している。

夕暮れが近づくと観光客が続々とやって来る。
上海観光のメインは新天地の屋外のテーブルを
囲んで西洋人たちが声高らかにビールを飲む。

写真の店は老舗Latinaでブラジル料理で有名。
肉の塊りを櫛に刺して焼いたシュラスコを
ナイフで切ってもらい食べると美味しい。

この新天地は世界の有名店が入っており
その雰囲気だけでも味わうとリッチな気分に。。

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写真のCOLD STONEはドイツビールとアイスが
売り物の店で本場のビールが味わえるが何となく
ビールの味が薄い。やはりビールは日本が一番!

Haagen Dazsと言えばアイスクリームの老舗。
店の外に出してあるテーブルやイスも素敵である。

そこに座りカリフォルニアの雰囲気を味わいながら
周りの店の行き交う人達や違う店で賑やかな
雰囲気の世界から集まった人達を眺め飲むワインも
また格別でアイスクリームとのミスマッチと思うと
甘さとワインの渋みがこれまた病みつきになりそうだ。

この新天地は1930年ごろの上海の建築物を利用し
再建された小さな観光地だが調子にのっていると
3万円ほどは、あっという間に飲み食いで消えてしまう。

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「上海旅情8」

「中国写真ライフ」では、
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写真の店の名前は「百草伝奇」と呼び上海老舗
百草と名前が付いているだけあり薬膳料理を
思わせるような何とも体に良いような料理だ。

私は若い頃から七草粥や苦味のある野菜も好んで
食べていたので子供たちとは料理が違った。

多分今思えば、妻は相当大変だっただろうと思う。
亭主関白を装ってペースを合わせてくれていた。

比較的、ここの薬膳料理を気に入って食べていたが
お客様、特に若い大学を出たばかりの女性は
一口食べただけで表情が変わるほどだった。

この店で気に入っている事は平たい木製の箱に
多数の弦を張った楊琴を弾いてくれる事である。

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楊琴を聞いていると何とも心穏やかになるが
これも若い人には少し間が持たない感じであった。

上下の写真は新天地の中に残された石庫門建造物を
残して一軒そっくりそのまま博物館にしてある。

1930年代の古き上海の中で家族4人の生活が
そのまま保存されていて何とも愛おしささえ感じる。

中へ入ると古いミシンやドレッサーやベットまで
そこに居るだけで、その時代の人が現れるような
錯覚さえ覚えるほどであった。この中の撮影は
今回は時間がなく中へも入っては居ないが以前に
撮影した写真は別の機会に更新したいと思う。

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「上海旅情9」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「南京市内」の写真を公開しています。

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1920~30年代に建てられた石庫門住宅を修復。
旧フランス租界の街並を再現した新天地は
モダンな雰囲気が漂い観光客を魅了させる。

1930年代の魔都上海と言われた頃の華やかさと
現在のモダンな雰囲気が融合した空間で椅子に座り
行き交う観光客を見ているだけで心が和む。

新天地は2001年にオープン以来急速に知れ渡り
ガイドブックに紹介されると欧米からの旅行客で
賑わいを見せており私が訪れた2002年当時より
遥かに観光客が増えたように感じる。

写真のような店が立ち並び、その数は100店舗以上。
全てが1920~1930年代の建造物の外観を残し
北側と南側と車道を挟んで2ブロックに分かれている。

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写真は「TMSK」で 一階はバーで二階が中華風の
レストランになっており、モダンな造りがしてある。

「TMSK」のオーナーは台湾の元女優でガラスの
陶芸家という名前で知られる楊恵?さんの店でもあり
龍の模様の中国瑠璃を駆使して造られている。

私も女性に言われて気がついたのだが全ての食器に
瑠璃ガラスが埋め込まれており、お洒落な感じだ。

冷たい感じの石庫門建築の窓ガラスに瑠璃を貼り付け
光りにキラキラと輝きを増し幻想的で艶やかだ。

是非と進めたいがやはり会計が気にかかるが私は2人で
2300元(32000円)ほどだったので余裕のある人は
入って雰囲気を味わってほしいと思う。私の場合女性を
同伴していたので彼女の注文に任せたのが高くなった。
もし私が注文すれば1000元以内に収まるだろうと思った。

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「上海旅情10」

「中国写真ライフ」では、
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上海新天地の中央広場へ来て撮影していると
急に薄暗くなって来て、今までの露出では
画面がかなり暗くなってしまった。

持ち物を軽くするために必要なレンズのみ
バッグに詰めていたのでフラッシュはなかった。

私の場合、夜の人物撮影などは皆無だった。
そのことも手伝いフラッシュを重要視しておらず
コンパクトカメラから発する光りが恨めしかった。

レンズを開放にしシャッタースピードを遅くし
何とか写真の状態にまで撮影できた感じだ。

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シャッタースピードを遅くする事により起こる
手振れを心配したが思ったよりは機材が重たいのか
手振れ現象は最小限に抑えられているようだった。

スターバックスからほんの少し歩いて来ると
噴水がある広場まで出るが噴水を背にして正面に
「fountain」と呼ぶビストロ&ワインバーがある。

その左側の路地裏を撮影したが雰囲気がとても良い。
正面億には欧米人が多いイタリアンレストランの
「VA BENE」が見えているが殆どの建物は1920年代の
古き時代のフランス租界街の建物を利用している。

下の写真は「ライブハウス?Brown Sugar」であるが
昔は「ライブハウス-ARK」があった所で以前の店には
3度ほど行った事があるが新しく変わってからはない。

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「上海旅情11」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「南京市内」の写真を公開しています。

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上海新天地の歴史はというとまだ11年足らず。
上海の石庫門建造物を取り壊し新しい街が
造られる中で何とか石庫門を残そうと造られた。

上海付近へ来たならば必ず新天地を訪れるように
上海市も旅行社も力を入れて来たが今では
この小さな新天地が旅行者であふれ賑やかだ。

道路を挟んで東ブロックの「百草伝奇」へ戻り
夜ともなると大型液晶パネルでのコマーシャルが
暗がりを照らしてくれている。その中を通り抜け
大通りへと出て街並みを少し歩き撮影した。

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新天地の周りにはお洒落な店が多く立ち並ぶ。
その角を曲がるときも街並みの街路樹に
日本では考えられないが、ふんだんに電気を
使い街を明るくしている姿は今の中国を象徴。

日本は東日本の震災以降、節電が身についてきた。
だが中国各地や上海などでも関係ないように
夜遅くまで煌々と電気が付いている。

上海のイルミネーションを見ていると
日本の15年前を思い出すが、評論家によると
あと20年もすると日本は中国に飲まれてしまうと
記事で見た事もあり中国人も信じてやまないようだ。

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「上海旅情12」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「南京市内」の写真を公開しています。

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私が中国でアパートを借りて住んだのが
広東省広州市だったが、始めは中国大飯店の
部屋で3ヶ月過ごしたが、1ヶ月15000元だった。

15000元を日本円に換算すると22万5千円になる。
私は中国人に頼んで1ヶ月3000元(45000円)と
大幅経費削減につながったが、当時は治安面で
公安局の許可が中々下りなく裏金で許可が下りた。

16年も経った今そんな事をして発覚でもしたら
罰金刑に書せられてしまうかも知れない。

先日見せしめのため、政府役人が賄賂で死刑に
なったが、氷山の一角で多くの役人が襟を正した。

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17年前の広東省でも税関の所長はじめ7人が
銃殺刑になった事があるが、中国も裏を返せば
上層部で収賄が横行しており責任逃れだろう。

責任を逃れるために濡れ衣を着せて銃殺刑に
してしまうほどに怖い国ではあるが一般人には
問題なく、余分にお金さえあればまた楽しい国だ。

昔は香港から深センへ入り陸路で広州まで来た。
ある時、飛行機の中で知り合った女性と香港で
食事をする事になり、のこのこ着いて行った。

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香港の街から海岸沿いの店に辿りつき海鮮料理を
たらふく食べたが勿論勘定は私の支払いである。

おまけに、家で母が待っているからとお土産まで
買わされてしまった。挙句の果てに彼女はバーの
ホステスをしており、彼女の勤めるバーにまで
誘われ着いて行ったが、勘定を支払う段になり苦笑い。

当時7000元(10万5千円)で、安いでしょうと言われ
情けない気持ちでいっぱいだったが、全ての支払いを
勘定して何とも無駄なお金を使ったものだと苦笑い。

今の節約時代が訪れる事など思ってもみなかった。
昔は相当浪費をしたものだと今更ながらに思う。

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「中国の旅」

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